お知らせ
同窓生の声
「同窓生の声リレー」 第2組第39走者 新しい声を寄せていただきました〈令和7年5月〉
新しいホームページの目玉として『同窓生の声リレー』を始めました。お知り合いからお知り合いへ同窓生のつながりを拡げます。「同窓生の声リレー」運用について
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第39走者 🙂
【唐澤敬子さん(高校21回)】
訃報
前回の走者、菅沼美代子さんからバトンを繋いでいただいた唐澤敬子さんが、ご寄稿いただく少し前にお亡くなりになられました。ご生前賜りましたご厚情に厚く御礼申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。ご親交のあった方からは「敬子さんはとても快活で、歌を愛し、人のために尽力された方で、周囲の人々を幸せにしてくださいました。生涯を通じて、人のために一生懸命に生きられたその姿は、今も私たちの記憶に深く刻まれています。」とお聞きいたしました。同窓生の声リレーも書き始めてくださっていたようですが、筆途中とのことで、敬子さんの妹様から以前にご寄稿された「山寺公民館報R6.8.10」をご提供いただきました。ご紹介させていただきます。
合掌
「花と咲け!花と咲け!」 天竜町 唐澤敬子 〽15.16.17と私の人生暗かった~「圭子の夢は夜ひらく」。昭和ダネ!ちまたでこの歌がはやっていたころ、私も少なからず暗かった。父が山寺この地にて会社を起こしたのは私が高1の時。事業は面白いほど順調。順調だったが故に、父と実兄との会社をめぐる株の問題でもめにもめたのだ。数年間かかり、やっと和解したものの、これが機で母は病弱な身体に…。私は折りしも進学の時、高2の時上伊那弁論大会で優勝に気を良くし、将来はアナウンサーか教師になる夢を見ていた。が、合格通知を受けながら、それどころの状態ではなく、夢は断たれ相当落ち込んだ。 しかしそれがキッカケとなり、私は人生の師と巡り合えたのだ。師は「難を乗り越え、花と咲け、花と咲け!」と。 結婚式の祝辞に「人生は山あり谷あり…」とよく言われている。私の人生は谷なんてクソくらえ!山ばかりにしてみせると思った。が、実際はそう甘くなく、ナニ⁉ナニ⁉谷、谷、谷ばっかじゃん!そんな中でも子育ては最高に楽しかった。人生の宝ともいえる時間、これを味わえることの幸せを満喫したように思う(あくまで手前勝手です)。最初は好きでなかった家業も、家族と試行錯誤し何とか愛される地域密着型の店に!と努力。尊いお客様をはじめ、多くのいろいろな人との交流、関わりの中、常々師の“民間外交”に感動していた私は、50歳の時、そうだ!私はこれからの人生「社会貢献したい」となぜかそう決意したのだ。それ以来、面白いほど、思うように楽しく人生が開けた感じがする。予期せぬ病気にもなった。少しうろたえたが完全に勝利できると思っている。病は不運だが不幸ではない。病になり、人の温かさ、真心、思いやる心がしみた。まさに見えなかったものが見えてきた。だから恩返しの人生をこれからする。病弱だった母は穏やかな仏のような笑顔で今年97歳を迎える。苦難こそ人を強くする!そしてこれまた、楽しい、楽しい。うれしいうれしいの毎日が今の私。花と咲け!花と咲け!師の言葉どおり、最高! 自称山寺のアイドル敬子さん!!やりまっせこれからも♩♪♩ |
〈次は唐沢さんをご紹介下さった菅沼美代子さんに、もうお一人ご紹介いただきました。安藤(旧姓:米沢)三枝子さん(高校27回)にバトンをつなぎます。〉
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次回をお楽しみに!