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2024.03.14

いのちありて…を想う日

昭和20年3月13日、名古屋の工場での勤労動員中に空襲を受け、わずか16歳で亡くなった飯島米子さんの祥月命日にあたります。

当時伊那高女の4年生で、戦時下、修学旅行ももちろんできず、4年間の学業も、実際教室で机に向かって勉強できたのは半分程度、勤労奉仕に明け暮れた学校生活。そのような現在とは全く違った高校生活、青春時代を、今、私たちは自分の人生観の中に取り入れることができるだろうか。

一年に一度、この日を、平和の大切さを想う日、飯島さんを想う日にしてほしい。

同窓会館前にある慰霊碑

「ふるさとに帰り来ませと石に彫り、生き残りたる者は悲しむ」…空襲で亡くなった米子さん、ふるさとに帰っていらっしゃい。そう石に彫って、生き残った私たちは悲しみをこらえている…という意味でしょうか。戦後60年の平成17年に高女33回生の方々の熱意と寄付によって建立されました。

母校戦時中の様々な状況は、当会発行の記念誌、上伊那郷土県協会発刊の『伊那路』、後藤俊夫監督の下で映像化されたドキュメンタリー映画、NHKの証言映像、そして高女33回生が発行した『いのちありて』などで知ることができます。